詩人「小熊秀雄」と「小熊秀雄賞」にふれて

「旭川と小熊秀雄」<作家> 三浦 綾子
 小熊秀雄は、小樽で生まれ、樺太にわたり、二十歳の時、姉を頼って旭川に住みついたという。そして二十七歳で上京し、三十九歳で東京で死んだ。つまり、彼が三十九年の生涯のうち旭川に住んだ年月はわづか七年に過ぎない。
 が、彼の詩碑は、旭川常磐公園に建ち、文化団体が小熊秀雄賞を設定した。この全国的な賞によって、小熊秀雄は全国の詩人たちと強いかかわりを持つに至った。
 そう考えてくると、彼の三十九年の生涯に於ける、彼の本当のふるさとは、旭川ではないかというような気がする。

 本来ふるさととは、理解し愛し、育ててくれるところでなければならない。彼の死後三十年を経て、まさにわづか七年住んだだけの旭川において、全国的な小熊賞が設けられようとは、彼も想像することはできなかったであろう。もし、彼が、旭川に住むことが無ければ、小熊秀雄という詩人を誰が顕彰してくれたであろう。わたしはふっとそう思うのである。

(小熊秀雄詩集/旭川文化団体協議会刊/1975第4版)


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詩人「小熊秀雄について」<詩人>長谷川 龍生
 詩人「小熊秀雄」と「小熊秀雄賞」にふれて 「小熊秀雄について」小熊秀雄の詩から受けるものを、何々主義として簡単に言い切ることはできない。すべてのものを含みつつ、それぞれの長所を生かそうとつねに心がけていた足跡がくっきり見える。
 しかし、言葉を修辞一本に絞る詩人ではなかった。実社会の矛盾から身をおこして、その深淵を探ろうとする指向性を持っていたが、その偏向性にたよることもなかった。彼の頭脳の中には、いつも民衆が同居していたのである。民衆と言う彼の概念規定がしつようについて回っていた。もちろん、権力に対抗する民衆である。(現代詩文庫1022「小熊秀雄詩集」思潮社1981.1)

(中略)

 ところで詩作品以外にも、小熊秀雄は多くの作品を残していった。幾つかの文芸評論の中には、四十数年間経過した現在に至ってもその鋭い批評性は隈なく冴えている。そして現代詩を追求する者にとっては、教えられるところが大である。
 それは彼の才能が並々ならぬものであることを物語っている。彼の残した思考の原点に、現に生きている私たちがモチーフを樹てて、現代から未来にかけての文学の指向性を考えることには、十分に魅力をもつことができるのである。

(現代詩文庫1022「小熊秀雄詩集」解説抜粋/思潮社1981.1)


小熊秀雄について 作品抜粋紹介 その39年の略年譜 研究文献と執筆者


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